2008年06月19日
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オルランドと艦長のジレンマ

Written By: 遠野秋彦連絡先

 これは祖国防衛戦争以来の難題かもしない。

 オルランドのバトルクルーザー『ニールス・ボーア』の艦長は心の中で毒づいた。

 緊急性のある明瞭な任務を受けて行動中の『ニールス・ボーア』に、意見の分かれるような問題など起こるはずもないと思っていた。些細な異論は、「緊急」という旗印によっていくらでも先送りできるはずだったからだ。

 事実として状況は危険であった。オルランドの造反者、エムデン大尉はバトルクルーザー『ミツヒデ』を乗り逃げしたが、もちろんオルランドのバトルクルーザー1隻はたいていの星間国家の宇宙艦隊を圧倒するに十分な戦力であった。エムデン大尉がその気になれば、数百億の人口を抱える帝国の皇帝になることも、あるいはそれ以上の人間達を殺戮してまわることも容易だったからだ。そして、その可能性はゼロではあり得なかった。エムデン大尉は精神の平衡を失っていたことが医師の診察から明らかになっていたからだ。このような最悪の可能性を考えれば、エムデン大尉の行動を阻止することは最優先で行うべき課題と言えた。それを達成すること以外に、優先すべきことなどあり得ないはずだった。

 だが、そうではなかった。

 『ニールス・ボーア』の会議室は、おおむね2つの意見に分断されていた。

 第1の意見を強硬に主張したのは副長であった。副長は、行方不明のハイプ、ロザンナ902の捜索を優先すべし、と主張していた。

 そう。既に『ニールス・ボーア』と『ミツヒデ』は一戦を交えており、その際に行方不明者を出していたのだ。

 最初に行われた戦闘は、『ニールス・ボーア』搭載の高機動型マークIファイター部隊、通称『小雀戦闘機隊』によって行われた。この選択は妥当なものだった。なぜなら、『小雀戦闘機隊』のパイロットであるハイプつまりハイパーアンドロイドはいくらも生産で補充できるのに対して、オルランド人は子をなせない不死者であるが、殺されれば死ぬからだ。オルランド人の人口は増やすことができないが、ハイプは補充できる。だから、ハイプのみによる攻撃を最初に試みるのは、まったく常識的な選択であった。それで済めば、オルランド人の命を危険に晒すことはないのだ。

 しかし、この攻撃は何ら成果を出さなかった。お互いに手の内を知り尽くした同士が戦うのだ。双方、互いの攻撃はかわされるか防御され、双方損害無しという結果に終わってしまった。

 そのただ1つの例外が、ロザンナ902の行方不明だった。

 しかし、これはかなりの異常事態であった。通常、ハイプの行方不明という状態は発生しない。通常、ハイプは識別装置を身につけていて、これが発信する信号によってハイプの位置と状況は把握できるからだ。識別装置はハイプに相当する耐久力を持っており、識別装置からの信号が途絶えれば、ハイプも戦死したと見なすことができた。この場合は、行方不明とは見なされない。

 今回、行方不明という状況が発生したのは、識別装置が正常に動作していながらハイプを認識できない状況が起きていたからだ。つまり、識別装置とハイプが別れ別れになって、宇宙を漂っているということだった。大きな衝撃を受けた場合、それはあり得ることだった。

 そのような状況から、副長はロザンナ902の捜索を優先すべきと主張した。どのようなベクトルでロザンナ902が放り出されたか分からない以上、彼女が存在する可能性のある範囲は時間経過の三乗に比例して増えていくのだ。エムデン大尉追跡を優先して任務終了後に戻って捜索しても手遅れになる可能性が高い。

 更に言えば、ロザンナ902の捜索を優先すべき別の理由もあった。オルランドのハイプがもし敵対勢力に回収され、情報を喋らされた場合、オルランドは極めて不利な立場に追い込まれる。技術レベルが数段劣っていても、情報と合理的思考と勇気と大胆さがあれば、相手を出し抜くことも不可能ではない。そのことは、オルランド自身が祖国防衛戦争で示した真理であった。

 もう1つ、公式には認められていないが、もともと男だけのオルランド人を慰めるために女の姿を持って製造されたハイプは、艦内においてもオルランド人を慰め、オルランド人に慰められる立場に容易に収まった。ロザンナ902を抱いた乗員がどれほどの割合か見当も付かないし、その中の一部は本当に彼女を愛していたかもしれない。それにも関わらず、ロザンナ902を放置して進むと艦内の士気にも関わるのである。特に、様々な理由から『ニールス・ボーア』たった1隻で『ミツヒデ』を取り押さえねばならない困難な状況で、士気の低下は大きな懸念材料となる。

 しかし、このような副長の主張とは別の主張を行う者が存在した。それが艦載戦闘機隊長のハイプであった。この会議に参加した唯一のハイプである彼女は別の意見を強硬に主張した。

 ロザンナ902は放置し、『ミツヒデ』追跡を最優先で実行すべきであると。

 その根拠は至極単純で、ハイプとは消耗品という前提で艦に乗り組んでいるのだから、緊急性のある問題があるならそれを優先し、ハイプは捨てられるべきだというのだ。

 これもまた説得力のある意見であった。その理屈において、『ミツヒデ』追跡はハイプを捨てて実行する価値のある任務であった。

 だが、副長を納得させるには力不足の主張であった。

 双方の意見は拮抗した。

 結局のところ、『ミツヒデ』とエムデン大尉を放置して発生する可能性のある災厄は可能性の問題でしか無く、同時にロザンナ902を放置して発生する可能性のある災厄も可能性の問題でしかなかったからだ。

 だから、どうしても議論は膠着状態に陥らざるを得なかった。にも関わらず、議論に費やすことができる時間は少なかった。

 艦長は会議の一時休憩を宣言した。しかし、これが最後の休憩であることは間違いなかった。次に再開されたときに決断しなければ、どちらの選択も手遅れになる。そして、決断は艦長自らが行わねばならない。

 艦長が腰を伸ばそうと立ち上がったとき、艦載戦闘機隊長のハイプが声をかけた。

 「艦長、1つだけお話ししたいことがあります。できれば、艦長の寝室で……」

 会議室から出て行こうとした一同は驚いた目で艦載戦闘機隊長を見た。

 これは明らかに、肉体を使った買収ではないのか。そこまでして自分の意見を通したいのか。

 彼らの視線はそう言っているように見えた。

 だが、艦長は別の判断を行った。ハイプでありながら艦載戦闘機隊長にまで出世した才媛が、あからさまに買収を敵対者にほのめかすわけがない。

 そこで、艦長は艦載戦闘機隊長の申し出を受け、彼女を連れて艦長室の寝室へと入った。

 2人が寝室から出てくるまでに要した時間は僅かだった。

 会議は再開された。

 艦長は結論を告げた。

 「エムデン大尉の追跡を最優先で行う」

 一同はどよめいた。

 そして、艦長は付け加えた。

 「もし、ロザンナ902を失って悲しい者がいれば、艦載戦闘機隊長が心ゆくまで悲しみを慰めるそうだ。そのような者は名乗り出るように」

 もちろん、名乗り出る者などいるはずもなかった。オルランド人乗員とハイプの関係とは、そのようなものだったのだ。

 しかし、艦長がエムデン大尉追跡を決断した本当の理由は明かせなかった。寝室で艦載戦闘機隊長から2人きりで聞かされた話は、他人に話せるものではなかった。

 艦載戦闘機隊長はこう言ったのだ。

 「実は私も、乗機を撃破されて二千年ほど宇宙を漂ったことがあります。しかし、それはある種の解放と安らぎを与えてくれました。オルランドに奉仕するために製造された私たちは、常にオルランドから拘束された存在です。しかし、宇宙を漂っている時だけは、そのしがらみから解放されるのです。私がなぜ艦載戦闘機隊長に任じられているか、本当の理由をご存じですか? それはオルランドのハイプではない部外者の自由な立場からハイプとオルランドを見ることができるからです。その視点は、宇宙を漂っているときに手に入れたものです。だから……。ロザンナ902もしがらみから解放してあげてください」

 艦長はその願いを聞き入れた。少なくとも、ハイプにとって極めて好意的な決断であるはずだった。艦長が真相を知るまでは、そう信じることができていた。

 『ニールス・ボーア』は全力加速で『ミツヒデ』の追跡に取りかかった。どちらも同等の加速力を持っていたが、自動操艦で飛ばす『ミツヒデ』に対して、プロの航法士が抜け穴的航路を算定して最適化する『ニールス・ボーア』は徐々に距離を詰めていった。

 両者の距離が、恒星破壊砲の有効射程距離にまで接近したとき、突如『ミツヒデ』は加速を停止し、シールドを解除して無防備状態に陥った。

 何かの罠かもしれない、と警戒した艦長は、『小雀戦闘機隊』に『ミツヒデ』艦内の調査を命じた。

 『小雀戦闘機隊』のパイロット達は、『ミツヒデ』のブリッジで、エムデン大尉を刺し殺し、自分も永久作動停止状態となって倒れているロザンナ902を発見した。そして、ブリッジの隅で震えていた未登録のハイプも。そのハイプは、少しロザンナ902と似ていた。

(遠野秋彦・作 ©2008 TOHNO, Akihiko)

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